続 記録と記憶と印象と..
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大は大を誇らず、小は小を恥じず
傘堂祈願
ある文献によると、傘堂は江戸時代初期の建築で、大和郡山藩主「本田正勝」の菩提を弔うため、家臣であった「吉弘統家」(よしひろ・のりいえ)が建立し た、と書かれています。また、別の文献には、本田侯の菩提を弔うために恩顧の臣、領民等が相談し建てるとも書いてあります。江戸時代の中期には郡山藩主柳 沢氏も修理に尽力されたことなども記されている。
傘堂とか真面堂と呼ばれるこのお堂は、元々中心柱を「大日如来」に見立てた仏堂であり、傘堂信仰として、「傘堂に三度祈願すれば、長い病にによる下(し も)の世話を人にかけず、自分も苦しむことなく、又、命終わるときは雨が降らず、これまた人に迷惑をかけることもない」という伝承もあるそうです。
葛城市観光協会等発行のパンフレットには、このお堂は左甚五郎が造ったと伝えられていること、又、「ぽっくり信仰(天寿を全うして、ぽっくり死ぬように)」がつたえられている、と記載されていました。
毎年5月14日に執り行われる「當麻おねり(正しくは聖衆来迎練り供養会式)」の日には大勢の人がこのお堂を訪れて、安楽往生を願うそうです。但し、3度は参詣しないとご利益はないそうですが・・・。
大和路を訪ねて
〜 私の一押しの大和路 〜 米田嘉浩氏
田中眞人 氏よりコメントを頂きました
傘堂は「影堂」または「位牌堂」とも・・・。
かつてはこの場に受付があって、祈願まいりの都度、腰にまく白いさらし布に押印されていました。
平成25年からは石光寺に移っています。
初年の押印は離苦生安楽の”無病祈願”
2年目は”正念祈願”
3年目に”晴朗祈願”
4年目でやっと”神祇祈願”でありますが、さらに
5年目がお礼参りの”廣済衆厄難”で満願成就になると、当時受付をされていたNさんが教えてくださいました。
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